@article{oai:nagoya-wu.repo.nii.ac.jp:00001044, author = {古川, 智恵子 and 豊田, 幸子 and フルカワ and トヨダ}, journal = {名古屋女子大学紀要, Journal of the Nagoya Women's College}, month = {Mar}, note = {P(論文), "北設楽地方において,戦前までに着用された女の仕事着について調査した結果,農家の一日の生活時間は,生活即労働といっても過言ではない程で,農作業の場と日常生活の場を,明確に分けることは困難であった.したがって,女の人の仕事着はどの地域においても,家居の時や,仕事の種類によって丈を自由に調節し得る和服の長着物に腰巻,半幅帯のワンピース形態で順には手拭い,仕事によって前かけをつける点に共通性がみられた.これが仕事着の主流であり,又ふだん着の役目をも果していた.稲武町,設楽町,津具村地域では,上記形態に加え水田作業時には股引を,畑作,山仕事にはたつけやもんぺ等を着用する人もみられた.これらは足さばきや,腰の前屈身などの動作に適応する股下構造に機能的な工夫のみられる下半衣を着用する点に地域差がみられた.また袖の形態では,筒袖,鯉口はどの地域にもみられたが,てっぽう袖,平袖は東栄町,豊根村以外の地域にはみられなかった.このように,股引やもんぺにみられる股下のまち構造,および袖の形態がたすき1本にて容易にかえ得ること,袖下のみを縫い直すことによって袖形態を自由にかえ得ることの出来る経済性と簡易性,また着丈の調節のみで作業目的に合わせ,作業動作を機能性のすぐれたものにしていること等は,農村の人々が何代にもわたって着用し,その生活体験から改善,工夫を加えてきたものだけに尊く,その発想が現代のズボン式もんぺや作業衣の袖形態に連綿と受けつがれているのを見るとき,その当時の人々の生活の知恵に今更ながら感心させられるのである.今回の調査により,当時の自給経済の中で,綿を作り,糸を紡ぎ,染色し,布を織り,家族の者の着物を一手に引き受けて,裁ち縫いし,さらに農作業という重労働をも担ってきた女達の強さ,勤勉さにあらためて感銘を深めた次第である.引続き次報では第二次大戦以後,社会経済情勢の動きに伴う北設楽の農村変貌の中での仕事着について調査報告を行なう."}, pages = {1--10}, title = {北設楽地方における女の仕事着に関する調査(第1報) : 戦前を中心として}, volume = {28}, year = {1982} }