@article{oai:nagoya-wu.repo.nii.ac.jp:00001250, author = {古川, 智恵子 and 中田, 明美 and フルカワ, チエコ and ナカタ, アケミ}, journal = {名古屋女子大学紀要, Journal of the Nagoya Women's College}, month = {Mar}, note = {P(論文), "日本は四方を海に囲まれ,人々は古くから漁労を営み,中世頃までは「海人(あま)」と書いて漁業を営む人々の事を総称したが,近世以降は潜水漁に携わる男を海士,女を海女と称するようになった.伊勢・志摩では奈良時代から海人のいた事が文献から散見される.当時は男も潜ったが,江戸時代から男が出稼ぎの漁に出た事や,アワビの価値が上がった事から,海女の働きが目立ってきたのである.海女の仕事着は磯なかね(腰巻)に磯てぬぐいで,上半身は裸であった.サメが白を嫌うと信じられていた事から白が用いられた.明治初期頃まで殆ど変化はみられなかったが,磯眼鏡や,潜る時間を早める分銅,浮上を助ける滑車等,作業能率を向上させる工夫がなされ,大正時代末から磯シャツを着用した.この形態は昭和43年(1968)頃まで続くが,現在では保温性の高いウェットスーツヘと移行した.長い男社会の歴史の中で女の地位は常に低く,忍従を強いられ,最近ようやく男女平等が定着し,男女雇用機会均等法が施行された.しかし,伊勢・志摩では何千年もの間常に女が経済力を握り,男を養ってきた.男よりも女が生まれる事を喜び,女が家を建てるのは,あたりまえの事とされていた.海女達は理屈ではなく,経験の積み重ねによって底がいしょを体にたたきこみ,自分の腕一つで一家を支えている.生理の時も産み月さえも潜り,60~70歳の年齢までも,むしろ大海女(技量の優れた経験のある海女)として活躍しており,女としてのたくましさが,ひしひしと感じられる.今回,海女の村を訪れ,「女は常に太陽であった」との平塚雷鳥の言葉通り,女は自信に満ち,光り輝いている.海での仕事の他にも家事,育児,畑仕事とめまぐるしく働き,そのバイタリティには圧倒させられる.それは無限の力を秘めた海から授かったものであろうか.伊勢・志摩には何千年もの間,奥深い海に抱(いだ)かれ,海に命を預けた女達の魂が,今なお営々と生き続けている."}, pages = {23--30}, title = {海に生きる女たち}, volume = {34}, year = {1988} }